あれやこれや 桂木先生編 8

桂木先生と菊丸 3

 桂木先生の立ち位置というものを改めて考えると面白いのが、他に当時存在するエッチ漫画でも先生のような存在が見当たらない、という点でしょう。

 というのも同時期、同誌にて連載をしていたハートキャッチと並ぶ2枚看板の1つoh! 透明人間にもゲストヒロインとして幾人かの女教師は登場しましたが、単発ゲスト扱いでした。
 学園モノのエッチ漫画は多くありましたが、女教師が積極的に関わっている作品となるとそう多くなく、関わっていた場合には理由付けが存在していました。
 
 昭和作品で管理人が覚えているなかだと「週刊少年チャンピオン」掲載の「エイケン」の滝沢真子先生(最終回で初めて判明してた)あるいは「月刊少年チャンピオン」掲載の「オレってピヨリタン」の各先生(数名いるので割愛)、あるいは永井豪作品の幾つかであるが、そのどれもが主人公と何かしらの接点を持っている場合がほとんどでした。

 例えば主人公の部活の顧問であるとか担任教師や生活指導である、あるいは主人公が特殊能力を持っており、その関係性において繋がっている、など。

 なお「まいっちんぐマチコ先生」や「いけない ルナ先生」は彼女たちが主人公などで指標としない。

 では桂木先生はどうでしょうか。

 担任教師というのは後付設定ですので、原作での先生にとくに菊丸と関わるべき接点はありません。教育実習生の早瀬歩は菊丸を更生させようと自ら関わっていましたが、桂木先生にそのような描写はありません。

 むしろ自己保身の強い性格を顧みれば、菊丸のような問題児と関わるのを忌避するのが当然と見るべきでしょう。

 ですが実際は前項にも述べましたが、宿直室には迎え入れる、運動会では一緒に観戦している(しかもいずみも千春もいない)、学校外の活動にも付き合わせている。
 と、先生自身の選択によって菊丸と付き合いを深くしています。

 そしてそうした先生の行動矛盾の最たるのが最終回最後のパンティーです。
 菊丸が誰にも告げずに転校すると知り、飛び出していったいずみを追いかける千春たち。
 ここになんと桂木先生までも加わるのです。コミックス派や熱心な読者以外は多分「この人誰?」と首を傾げていたと思えるほど唐突な登場です。

 管理人は狂喜乱舞しましたがっ!

 しかも昭和漫画でよく見た展開のクラス全員が教師と一緒に挨拶をしに空港に向かうとか、ではなく、特に親しくしていた三人娘と一緒という扱いです。

 思い出して欲しいのが先生の性質です。
 何度か記しましたが、先生は教師の立場を重んじる自己保身の強い性格です。
 そんな先生が教職の身で学校を放り出し、菊丸との最後の挨拶を選んだという事実。

 実際問題として菊丸に好意を寄せていた千春、リンダですらいずみが飛び出してゆくまでは行動をしていません。
 あの場に先生がいなかったことを考えると、もしかすると一人でも抜け出そうとしていたかもしれないとは穿ちすぎた意見でしょう。

 どちらにしても桂木先生にとって菊丸が職場放棄に足る存在ではあったということで、長かったあれやこれや桂木先生編を一時終了とさせたいと思います。

 気が向いたまた書きますが。

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コメント

  1. コォコォ より:

    桂木先生にとって菊丸はやはり特別な存在なのでしょうね。確かに授業を放棄してまで見送りに来るあたり、先生も内心菊丸からの悪戯を楽しんでいたのでしょうかね?

    まぁ、虎馬版桂木先生は永遠に別れないで欲しいものです(。-ω-)
    いえ、もう既に菊丸なしの身体では生きて行けないと思いますが。

    • 虎馬屋@管理人虎馬屋@管理人 より:

      >コォコォさん

       実際あの場面は連載当時にも謎でしたねえ。
       虎馬屋は転校していなかったら、というもしもから続いていますので大丈夫ですw

  2. 匿名得雄 より:

    本当に不思議な関係ですね。原作では書かれなかったエピソードが関係しているのではないかと思います。勝手な想像ですが、ランジェリーショーや鉄道模型の破壊の尻拭いを先生にさせてついでに悪戯してメロメロにしたとか、運動会で乾布摩擦で昇天させたのが関係してると思います。

    • 虎馬屋@管理人虎馬屋@管理人 より:

      >匿名得雄さん

       そういった妄想穴埋めは楽しいですよねえ。
       自分もランジェリーショーはいずみたちとは別口で大学時代の友人に頼まれて、とか妄想したりしてます。
       どちらにしても指人形劇の途中、姿を見せなくなった辺りは想像の余地がありますよね。