あれやこれや 知名度の話。

あれやこれや考察
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 知名度の話。

 長いので本筋はこらちから。
 
 エッチ漫画四天王というのをでっちあげるとして、マチコ先生を祖として透明人間、ハートキャッチ、やるっきゃ、ルナ先生ではなかろうかと考えております。これは売り上げに貢献したという実績部分も加味しています。
 
 え、祖は永井豪先生のハレンチ学園、あるいはけっこう仮面じゃね? と思われる方もいるかとは思いますが、開祖として間違いなくハレンチ学園であり、けっこうやまぼろし、イヤハヤ(ちな後述の有害コミック扱いとしてはいやはやがやり玉に挙がっています)などが来るのは間違いはないのですが、えーと、なんといいますか永井豪作品は別枠といいますか、恥じらいがないといいますか。
 エッチ漫画で好きと言うより、永井豪作品が好きな枠だと思うのでここは割愛させていただこうかと思います。
 ちな、管理人は永井豪作品でのエッチ漫画で一番はランボー先生でございます。
 
 閑話休題。
 
 実際のところオタク的な意味では実写で有名になった感もあるハレンチよりはマチコ先生の方が親しみやすくはあります。永井豪独特の毒気もないですし。
 ここから幾つかのユ~レイくんなどのエッチ漫画も排出されていますが、やはり売り上げ的な意味や覇を競った時期なども含めると上記の四作品が上がるのではないかと思います。
 
 80年代初期の月刊少年誌は立ち位置的に非常に微妙で、内容も読者にも編集側にも実験的な素養が多くありました。
 なにしろ漫画も黎明期を抜け、これで喰っていこうという人も増え、そうなると投稿者の数も増えるわけですが、花道である週刊誌の枠には限りがあります。
 ではまずは月刊誌でといういわば訓練場のような扱いが月刊誌にはありました。
 サンデーなどが月刊ではなくあくまで増刊という扱いで出していましたから推して知るべしでしょう。とはいえサンデー増刊はあの当時、出色の出来栄えの作品が多かったのですが。さすがの猿飛やとってもひじかた君、鉄腕バーディー、県立地球防衛軍などなど。
 これに対してジャンプ、マガジン、チャンピオンの月刊枠はそれぞれ代表作は抱えつつも雑誌として今一つの状況でした。白い戦士ヤマト、なんと孫六、暴力大将などですね。
 サンデーと比べるととにかく泥臭く、男臭い。こういう形で雑誌の色が決まってくると、不思議なもので集まる作品もそういう色が強くなります。加えて元のそれを超えることもあまりありません。そりゃそうです、プロをお手本にした素人の作品なのですから。
 
 元より週刊枠自体が前述のようにサンデーはどこか他紙とは違う風潮はあります。騙されているだけで当時からZOOだとかサバイバルだとか漂流教室だとか、男組とか連載してましたけど。
 サンデーにはあだち充、高橋留美子。ジャンプには江口寿史、鳥山明、まつもと泉の雑誌そのものの印象を変えるだけの天才が出てきたのも強味でしたね。その意味でマガジン、チャンピオンはいまだに印象は変わらない感があります。
 
 で、話は戻りますが雑誌の色、下世話に言ってしまえば売り上げを変える作品が80年代初期月刊マガジン誌に登場します。
 中西やすひろ先生のOh!透明人間です。
 これまでも細々とお色気漫画は載っていましたが小野伸二先生の桃色学園とか。
 いきなりヒロインの裸を載せてきた透明人間の衝撃は凄まじく、あっという間に同誌の看板漫画となってしまいました。
 絵柄の好みはあれど絵も抜群に上手かったのも、これを助長。小野伸二先生の絵もうまくはあるのですが、手抜きの印象を拭えない作風だったのと、ギャグマンガ仕立てのためそこら辺が差を分けた。それでも4巻まで続いていまして、これまたエロは受ける! と出版社側に教えたわけです。
 マガジンはそういう意味で貪欲というか、売れるとわかればその路線に邁進する傾向にあります。
 一頃バトルロワイヤル系が流行れば雑誌全体でそれを行ったりとか。
 この透明人間の成功に同誌の舵取りも決まったのか、続いて月刊マガジンのエッチ漫画二本柱となるハートキャッチも加わります。
 ハートキャッチはもとは読み切り、心持ちエッチな作風ではありましたが透明人間のようにあからさまに裸が出るものではなかったのにも関わらず、勝手に連載が決まっていたといいますから、いかに当時の月刊マガジンがそういう駒を欲しがっていたのかがわかる話ですね。
 
 さて、ここで透明人間、ハートキャッチとエッチな漫画を揃えたマガジンが急速に発行部数を伸ばしていきます。
 新人漫画の投稿作品もそれにあわせてだいたいそんなもんが載り始めていよいよなりふり構わない状態でございます。
 エロ漫画家の河本ひろし先生も投稿してたりして連載を進められたそうですが、断られたり。
 そこに故岡田有希子物語を描かれた川原正敏先生のパラダイス学園やいつまで続くのかわからないバスケ漫画を描いている八神ヒロキ先生の二人におまかせなども加わって実に誌面の半分がエッチ漫画に占領されていきます。
 とはいえこの間になんと孫六は面白さを増し、それにつられて男くさい漫画も布陣を増やして作者と喧嘩別れした特攻の拓作画担当所十三先生の多小西応援団やカンフータオの前川先生の鉄拳チンミ、麗霆゛子 のもとはしまさひで先生のヤンキー烈風隊と男の子の好きなもの欲張りセットみたいな陣容となっていきました。ギャグも西川伸二先生の土偶ファミリーとかで補ったり。
 
 対する他誌ではサンデーはこれまでのおしゃれな誌面が足を引っ張り、一応そうした作品はあるにはありましたが今一つ。
 新保勝実先生の駿一郎見参は本当に好きだったんだが。
 かろうじて野望の王国原作雁屋哲先生で風の戦士ダン(作画島本和彦先生)でちょっとしたエッチはありました。連載時に四天王の最後の一人を倒す回が樹里とか?かれるんですけど描き直しが多くて悲しかったなあ‥
 
 チャンピオンはこの辺りは完全に低迷していて誰が読んでるんだよ、これってなもんで時流にも乗り切れず、後のち山口譲司先生のその気にさせてよ・Myマイ舞でようやくあとを追いますが、その頃には本誌のテコ入れに月刊誌の補強をしている場合じゃないとばかりに週刊誌に移されておりました。ミラクル・ランジェリーにオレってピヨリタンと作品内容は攻めに攻めるというかハートキャッチ以上に直接的な作品もありました。品がないのがなあ‥
 
 さて今も残る三誌とは違い、廃刊となった月刊少年ジャンプですが、ここは機を見るに敏というか、目立った看板作品もなかったゆえかマガジンに後追いするようにひろもりしのぶ‥あ、いや、みやすのんき先生のやるっきゃ騎士を起ててきました。
 これがバカ売れして月刊ジャンプもまたエロは強いと認識するに至ります。まぁこれが後々の痛手になるのですけど。
 他にもあろふろし先生の優&美衣などでエッチ路線を補強し、少年月刊誌としてはマガジンと並び100万部越の偉業を成し遂げます。
 
 サンデー、チャンピオンが月刊でこの頃に部数で大きく水を開けられたことを考えるといかにエロ路線が有効かわかろうというものです。
 
 さて1980年代初期から後期に至るまで雑誌の売り上げに貢献するエッチ漫画の隆盛時代ですが、ここで水を差したのが1988年に起こった連続幼女誘拐殺人事件で、翌年逮捕された宮崎勤が大量にエログロ関連の漫画や映像を所持していたことで(若奥様の生下着‥)もとより手塚治虫作品すら悪書とする層がいきり立ち、朝日新聞の社説を筆頭に和歌山県の主婦が自分の息子が遊人のANGEL読んでたことに発狂して、大々的な有害コミック排斥運動が行われました。
 ちなみに管理人はこの運動自体は否定しません。
 表現の自由は確立されるべきですが、それと作品の提供の場を考えましょうというのは別の話です。自由自由という言葉を連呼するある種の基地外は自分の自由だけを尊重し始めるので注意が必要。某ハートキャッチスレでもそんなんが暴れてた。
 
 ぼくが当時好んで読んでいて同人誌から商業作品もきっちり揃えていた番外地貢先生の作風は、これを読んだクソバカがなるほど少女なら力も弱いし、俺でも拉致できるかもと思ってしまえば地獄の始まりです。
 もちろん表現側はそんなもん想像と現実の区別もつかないバカが悪いと切り捨てますし、事実その通りなのです。
 が、だからこそそういうクソバカの目に触れないようにしましょうよと、区分けをするのは正しい行為だと思います。
 当サイトにしてみたってもしかすると女性に触れたこともない童貞、そうか女性は感じさせちゃえばいいのか! と性犯罪を犯して虎馬屋でそう書いてたから‥と言われれば、うわあ、となるわけです。
 さすがにファンサイトであり、当時の作品からの発展妄想とわかっていただけると信じてのサイトです。
 
 はい、年代を振り返ればわかるように透明人間などのマガジン連載のエッチ漫画が一斉に終了したのは1987年。
 上記の有害コミック運動には直接関係ありません。
 すでに過激さの一途を辿り歯止めが利かなくなり始めたエッチ漫画をPTAが問題視はしていましたが。
 マガジン一斉終了は編集長が五十嵐氏から飯島氏に変わったためで、飯島氏はエッチ漫画が嫌いだったんだそうな。
 以降は修羅の門が大当たりしたこともあって、真田一平命がけとかなんやらかんやらエロとヤンキーとに二極化していたマガジンが格闘一色になりもうしたでごわす。まあ多小西や烈風隊、チンミなどエッチ漫画以外の作品は映画化やアニメ化など他展開が出来るのに対しエッチ漫画はその辺難しいですからね。ハートキャッチアニメ化したら全話録画してましたが。
 ただとにかく夢枕獏も苦笑した餓狼伝じぇねえや修羅の門が売れに売れたので、急な路線変更にもかかわらずマガジンは100万部路線を死守。
 対するジャンプはやるっきゃ自体があれな漫画化していたことや柱であったかっとび一斗やわたるがピュンなど面白くはあってもスポーツ漫画の一試合が長すぎてついてこれない読者を作ってしまし、クレイモアやテガミバチなどのヒットを出しつつも出版不況には逆らえず、廃刊の憂き目にあったのでした。
 サンデーは元々新人の読み切りを載せるという立ち位置を崩さなかったことや、そんなに売れていなかったのも幸い生き残り、チャンピオンは俺ってぴよりたんなどのエッチ路線も模索しつつも、月刊高橋ヒロシとして雑誌の魂を売り渡し成功しております。
 
 エッチ漫画撲滅のやり玉に上がってしまったのは後発のエッチ漫画であるルナ先生でした。
 なまじ少年の学習向けという体裁を整えていたので、路線変更に巻き込まれなかったのが仇となり、むちゃくちゃに叩かれておりました。
 前述のぴよりたんや週刊少年チャンピオンでもエッチ漫画は連載していたんですけどね。やはり雑誌の知名度か。
 

ということで知名度の話です。

 なげえよ。導入部。
 
 大丈夫、読み飛ばせるようにリンク張ったから。
 
 さて。
 独断で決めた四天王ですが、題目にあります知名度の点でハートキャッチは些か劣っていると感じています。
 当サイトの質問でもハートキャッチは連載時から知っているという方がほとんどで他媒介からこれを知った方はほとんどいらっしゃらない。
 まあ元より云十年前の作品で検索かけるのだから当たり前っちゃあ当たり前ですが。
 
 しかし他作品と比べてもエッチ漫画黎明期の作品であり月刊マガジンの売り上げに大幅に貢献したはずで、それに見合う読者数はいるはず。
 ではなぜ知名度が微妙なのかを考えてみました。
 
 1・普通の読者は作者名も下手をすると作品名も気にしない。
 まずはこれです。
 自分もそれなりに本は読みますが、年月が経ちますと細かい内容も掲載誌、作品名、作者名があやふやになってきています。
 これを少年期に一読した限りの、刺激の強さだけで読んでいた作品の名前を覚えているというのは結構な手間です。
 えーとマガジンでやってたゴルフ漫画でちょっとえっちぃのなんだっけ‥バーディバーディ? そりゃ透明人間の作者だ。あ、鏡丈二原作のマイフェアウェイだ! くらいにはあやふやです。
 ホールインワンでは姿麗華ちゃんのが好みです。わかれ。
 
 2・仮に作品名を覚えていてもタイトルと内容が一致していない。
 これもあるかと思います。
 後述しますが、ハートキャッチは二度死にます。
 タイトル的に作品内容的に。
 
 3・上記の部分に重なりますが記憶を掘り起こす場面や台詞が刻まれない。
 マチコ先生であれば「いや~ん、まいっちんぐ」であり透明人間であれば主人公がいくらを食べて透明に、やるっきゃであれば中身はともかくタイトルのやるっきゃ騎士(ないと)が韻を踏んでいて覚えやすく、設定もほぼ女子高に男子生徒が紛れ込むといった具合でわかりやすい。ルナ先生には無敵の三段論法からくるわたるが死んじゃう~~と、わかりやすい記号が羅列します。
 というよりこれらがあるからこその知名度でしょうか。
 
 4・掲載時期の問題
 エッチ漫画最長連載漫画はオヤマ菊之助の25巻の五年間ですが、年数でいえば透明人間もハートキャッチも、月刊連載で13巻と続いたオレってピヨリタンとさらに長く読者に訴えた作品もありますが、いずれにしても五年という連載期間は訴求するに必要十分な時間であるはず。
 
 1~3までに弱さを感じたとしても雑誌の売り上げを底上げしたうえで、その読者層に5年も目に触れ続けた作品がどうしてか透明人間、ルナ先生ほどの知名度を持たないのか。
 
 これが2の問題にかかわります。
 ハートキャッチは確かに5年に渡って連載が続きましたが、その実、連載初期はほとんど裸どころか下着すら満足に露出しないまさしくちょっとエッチな漫画でした。
 そこを補う形でいずみの心を読む能力で菊丸の妄想を汲み取ってきたわけですが、これが後年、作品の転換によって肌の露出のない回はないという立派なエッチ漫画に育ちます。
 またこの転換によって読者目線では主人公はほぼ菊丸といった状態になっており、タイトルのハートキャッチ部分の心を読む描写もなくなり、いずみちゃんは出番こそ毎回あっても千春やその他ゲストに喰われることも多くなります。まあこれは印象だけで作品最後半ではいずみを主軸にした回の方が多いのですけれど。
 
 つまりハートキャッチをハートキャッチとして認識している読者は転換期である後半の2年半がいずみちゃんであり、タイトルは意味が通らず、作品内容にしても食い違いによる齟齬が生まれてしまっているわけです。
 
 1で提示したような作品名も作者名も読者にはあまり重要ではない、という部分や3で提示した記憶に刻まれる定番がないことと、実質二年と少しいった掲載期間は知名度を得るにはやや厳しかったのかもしれません。
 では単行本5巻、連載期間は二年程度のルナ先生の知名度の高さは作品の質の高さやこれまでにない奉仕型の先駆者であったこともありますが、マガジン誌で一斉終了によるライバルの不在、先の有害コミック騒動によるやり玉と作品以外の要素も加わってハートキャッチ以上の知名度を有したと思います。
 
 ただハートキャッチは一部読者には鮮烈な爪痕を残してはいるようです。
 当サイトにいまだファンが足を延ばしてくれているのは本当にありがたいことでございます。
 某先生のファンも少しは増やしたのではないかと、これは密かに誇る管理人なのでした。


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コメント

  1. 匿名希望 より:

    漫画雑誌の歴史の話で少し反論を。多分80年代には衰退して無くなってると思いますが週刊のマガジン、サンデーが創刊される前は基本月刊の漫画雑誌があったと思うのですが。手塚先生や水木先生やそれ以前の漫画家さんが作品を発表してた雑誌が。少年向けエッチ漫画の話には必要ない話ではありますが。おっさん向けエロ劇画やソレ系雑誌の歴史も畑違いはわかってますが古くからありそうですし。

    • 匿名希望 より:

      自レスになりますが昔は貸し本屋ってありましたね。今もゲオとかあるけど違いを説明するのが難しい。

    • 虎馬屋@管理人 虎馬屋@管理人 より:

       そうですね。
       反論というよりは自分の抜けている部分への補強ですかね、ありがとうございます。
       
       ただまあ、あれはハートキャッチといいますかエッチ漫画の歴史としての掲載誌論から来てますので、そもそもハートキャッチ連載時の読者すら知らないような雑誌は意味もないかなと。
       
       古き良き、それこそトキワ荘時代の自叙伝のようなものに出てくる冒険王だの少年ブックだのは1960年代に台頭した週間少年誌によって駆逐されてしまいました。
       当時の月刊誌を潰した週間少年誌から月刊誌が生まれてくるのですから皮肉なものです。
       あの頃の週間少年誌にしても現在の大手四誌以外にも少年ビック、少年キングなどもありましたが、それすらもう今の人たちには懐かしいどころか覚えていない雑誌たちです。
       まあビックは野部利夫先生のミュウの伝説のために買い続けましたが。設定がまったく固まっていないひでえ漫画だった。でも好き。
       
       貸本に至ってはさすがに自分も網羅はしていませんが。
       あれはまあ昭和の浮世絵みたいなもんですね。

       おっさん向けエロ雑誌だとプレイセブンとか福原秀美先生の絵が好きだったなあ。